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貴takaの独り言・お知らせ

2015/06/28
こんなことをした、あんなことを感じた、そんなことを思った…
貴takaのそういうページです。
日本には10万社を超える「神社」が存在してるそうです。

祭られていらっしゃるのは日本神話や伝説上の人物、山岳や河川など、まさに八百万の名にふさわしく多彩です。
鳥居があってお社があってというスタイルの神社は、神聖な中にも開放的な雰囲気があって大勢の人がご利益を求めてにぎわっています。

その一方で、非常に奥まった場所にあったり危険な場所にあるような神社もあります。
岩や洞窟などに直接しめ縄だけが飾られているような神社ですね。
しめ縄には結界を示す意味があり、俗と聖、神域と現世を隔てています。

これは生きた人間はこれ以上近づくな、という意味もあるわけです。

過去に何らかの不幸がそこで起き、 記録には残っていないけれど それを記憶しておく装置であるとも考えられるのです。
しめ縄が張ってあって、その不幸な出来事の被害にあったもの(人とは限らない)たちの鎮魂のため小さなお社があれば、人はそこを神社と呼ぶようになります。
そういった場所は「隠れたパワースポット」としてメディアに紹介されたりします。

パワースポットは大地の力がみなぎる場所だと言われています。
パワーの一例として火山の噴火、有毒ガスの発生、強磁場、温泉などが思いつきますが、人に対して有害なものもあれば有益なものもあります。
ですから「すべての神社=パワースポット⇒開運・願望成就」とは限りません。

なのにたまにTVの旅番組などで、レポーターが無邪気に鎮魂(目的)の神社に出かけて「癒される~」「ご利益、ご利益!」なんてはしゃいでいるのを見ると、ちょっと首をかしげたくなります。
特にそのレポーターが厳かな場所に不釣り合いな派手な服、身体の露出の多いファッションだったりすると、逆に罰が当たるのではないかとヒヤヒヤします。

神様を信じるか否かだけではなく、先人の教えに対して敬意を払うことも神社参拝のマナーです、よ。

多くの人が占いと予言を混同しています。
確かにどちらも未来の出来事について語る部分では同じですが、大きく異なる点があります。

この違いについて、貴takaなりに解説します。

まずウィキペディアでは下記のように記載されています。
「予言(よげん、英: prediction)とは、ある物事についてその実現に先立ち「あらかじめ言明すること」である。」
「占い(うらない)とは様々な方法で、人の心の内や運勢や未来など、直接観察することのできないものについて判断、予言することや、その方法をいう。」

つまり予言は「未来を語る」ことで、占いは「語られた未来について判断する」ものであることです。
そして予言はいわば独り言ですが、占いには「語る相手」がいるのです。
ちなみに同じ出来事に対しても「語る相手」が異なれば、おのずと判断やアドバイスも異なります。

だって「語る相手」のために占うのですから。

う~んと昔、占いの初期は天候や戦争の勝敗、収穫の多寡など、今でいう「予言」に近い事柄を占っていたようです。
それは個々人のための占いではなく、王様・皇帝など統治者のための特別なものでした。
火山の噴火や飢饉が来るという「予言」は、統治者が政治的判断を下すための材料だったのです。
統治者が占い師にとっての「語る相手」だったのです。

ここが予言・予言者と、占い・占い師の大きな違いでしょう。

ですから占い師のマナーとして、語る相手がいなかったり、求められていないにも関わらず一方的に占うということは非常にはばかられることです。
占いのキャッチコピーに「黙って座ればピタリと当たる」というものがありますが、対面しただけで「あなたは~ね、こうしなさい」なんて言われたら気分悪いですよね。

占いの世界でも世間一般の常識は必要とされるんです。

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