「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」広島にある原爆死没者慰霊碑に刻まれている、世界で一番人の目に触れた碑文でしょう。
「繰り返さない」主語は誰なのかが不明瞭で、今でも論争が続いています。
原爆を落としたアメリカか、戦争に突き進んだ日本なのか、はたまた人類全体なのか。
この碑を建てたのは日本人なので、消去法でいくと主語はアメリカではないよな、と感じます。
人類全体というにはちょっと括りが大き過ぎるので、じゃあ主語は日本人?
「過ち」は日本人の何を指す?
ヒロシマ、ナガサキで30万人以上の犠牲者がいるのに「過ち」って、ちょっと残酷すぎる表現じゃない?
しかし先日読んだ本によって主語が誰なのか、貴takaの中でストンと腑に落ちました。
その「過ち」とは被ばくの当日、目の前で死んでいく人たちを助けることができずに生き残った人たちの声ではないのか、と。
紙一重の差で死者と生者が別れた瞬間に立ち会った者。
迫りくる炎の中で、がれきに埋まったままの母親を助けることができずに逃げなければならなかった幼い子ども。
足元に水を求める瀕死の重傷人がいても、残り少なくなった自分の水筒の水を与えることが出来ずに通り過ぎざるを得なかった人。
そんな体験をして生き残った者たちの心にずっと残るのは「生存者の罪悪感」。
あの時自分がこうしていれば、あの人は助かったかもしれない。
そうしなかったのは「自分の過ち」…
惨状の中で無力感を味わった人たちの辛さが「過ちはくりかえしませぬから」と死者に誓う言葉として表されているような気がしました。
阪神淡路大震災や東日本大震災のときも、上記と同じようなことが起きたことは想像できます。
天災であろうが、人災であろうが、戦場での出来事であろうが、心をえぐるような体験は自分の良心につきつけられた個人の問題になるのです。
しょく罪意識の前では、誰かや何かの責任にすることすらはばかられると思っても無理はないでしょう。
さてこれは図書館で気まぐれに借りた本で、ルポルタージュというよりはエッセイに近い内容です。
『原爆の父 オッペンハイマーはなぜ死んだか』
本書のテーマは物理学者オッペンハイマーによる原爆が、どのような経緯で製造されて用いられたかが主な内容で、碑文の主語を考察したものではありません。
しかしながら非常に読みごたえがあって色々と考えさせられる1冊でした。
私の中で碑文の主語に決着がついたのは大きな収穫でした。
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